ドストエフスキー『罪と罰』で、主人公のラスコーリニコフは次のように発言します。
一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ
金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害し、奪った金で世の中のために使い社会のために役に立ちたい”、このような個人的な”正義”を標榜する論理の展開は、人を誤った判断に導くことがあり得ます。

大きな富を得たものと、まだ富を得ることができないものの間には、大きな隔たりが存在します。そして、その隔たりは永久に解消されないことのように思うことがあります。

元々、税金とは、飛鳥時代701年の大宝律令「租庸調などの税や労役をかける税の仕組み」をはじめ、国や領主などが、住民を管理して、国を治めるための仕組みとして導入されました。
現在においても、これらの”国や地方自治体の経費を調達する”が税金の主要な目的でもありますが、税金にはもう一つの”従の役割”の側面があります。
すなわち、「富の再配分」「景気調整」「経済政策の推進」「国内産業の保護」などがあります。

もしかしたら、19世紀ロシアにおいて、福祉政策や「富の再配分」が適切に行われていたら、ドストエフスキーの名作は産まれていなかったかもしれません。

それでは、2018年度税制改正の特徴はいかがでしょうか?

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