しばらく更新をさぼっており、大変失礼しました。

このサイトは「お金」に関する興味のある方がアクセスするサイトなのに、9月末に「政治」のことを書いてしまいました。
私のコメントが、選挙に影響を与えるのは望ましくないと思い、これ以上政治に関する話題には触れるべきではないと考えておりましたら、時間がどんどんと過ぎ、いつの間にか10月も終わりが近づいてきました。実に1か月ぶりの更新です。

今回の選挙くらい、様々な人間模様が展開され、面白い展開になった選挙もあまりないと思います。本当に「選挙」という名の小説を読んでいるように面白かったです。

1993年に公開された映画「国会へ行こう!」は、吉田栄作/緒形拳で展開されるコミカル政治映画ですが、そのコミカル感に近い人生ドラマを感じました。

今回の選挙を振り返ってみましょう!
アベノミクスにより、多くの投資家は恩恵を受けております。
日銀の2%目標は達成できないものの、日経平均株価は第二次安倍政権成立以降、約2倍になっております。単純計算では、1000万円株式投資でお金をつぎ込んでいたら、2000万円になっていることとなります。銀行の金利が下がり、給料も上がらず、多くの人たちは、「あーでもない、こーでもない」と資産運用で試行錯誤していると思いますが、株式投資こそその王道の一つかもしれませんね。

そのアベノミクスの終焉を予感される、そんな事件が「希望の党」誕生でした。

9月末には、小池さんが
「次の党首は、公明党の山口さんがよい」と発言したり、”自民党の石破氏・野田氏 分断工作”の話が飛び交ったりと、希望の党の躍進は、”ほぼ保証された”、そのような展開が濃厚になりました。

各方面から小池さんに
「衆議院選挙に出馬するのかしないのか?」これを問われました。
その度に「出馬しない」と回答していましたが、出馬を辞退しことで小池さんの本気度がわかったように思います。元々、”都知事の安定したポストを降りるつもりはない”これが本年ではないでしょうか?
若狭さんはじめ、細野さんなどを陰て操る、そんなイメージで選挙に臨んでいたのではなかったでしょうか?

そんな時に、飛んで灯にいる夏の虫で、”言うだけ番長”の前原さんが、200人余りの民進党候補を引き連れて希望の党に合流してきました。
9月1日に民進党党首に返り咲いた前原さんとの「合流」は、今回の政局のポイントです。
民進党は、当時の野党第一党であり、その党首が「合流」となると希望の党の勢力は一気に拡大します。資金に困っているが一番注目されている希望の党に、民進党の140億円超と言われる政党資金が加われば怖いことは無いでしょう。

それ故に、小池さんの発言は堂々としていました、
入党条件を提示して、”踏み絵”をさせたのです。多くの民進党候補は、この踏み絵を、希望の党に合流の約束事と十分理解したうえで、さらには”小池さんと一緒に写真を撮ったら3万円”のハードルも乗り越えながら、藁をもすがる思いで、泥舟民進党から、新しい舟への乗り換えにいきました。その姿は”希望”に満ち溢れていました。

戦後、衆議院選挙を経た政権交代は4回しか経験がありません。
1947年 片山内閣(社会党)
1996年 細川内閣(日本新党)
2009年 鳩山内閣(民主党)
2012年 第二次安倍内閣(自民党)
1947年当時のことは私自身がまだ産まれておらず、状況がわかりません。
1996年の選挙当時のことは新鮮に覚えています。あの当時は、策士である小沢一郎さんが輝いて見えました。1993年に記された小沢さんの「日本改造計画」は、日本の新時代を宣言するかのようで、自民党が古めかしく閉塞感があり新しい時代の到来を予感させ、熊本のお殿様である細川護熙さんと組んだ、日本新党への政権が移っていきました。
しかし、非自民連立政権は政治改革後に目標を失い、消費税を「国民福祉税」などの名称で呼び、小沢さんの関わる内部の対立などで求心力を失い、ついには佐川急便問題で細川さんが追い込まれ、ついには1年足らずで、政権放棄してしまいました。

2006年の鳩山政権誕生時は、前回の政権交代を実現した細川内閣より、既に15年以上経過しており、民主党に”新しい時代の救世主”を期待していたのだ思います。
既に、日経平均の大暴落より20年が経過しており、”失われた20年”の中で、日本が衰退することが避けられない、そのような重々しい、空気の中で選挙がおこなわれ、見事に民主党が政権交代を実現しました。
民主党のが政権奪取に成功した当時、多くの国民は「自民党にお灸をすえる」そのような思いが強かったと思います。また「一回、他にもやらせてみよう」と小沢さんの主張していた、米国のような二大政党制への移行を予感させるものでした。
その結果、どうだったでしょうか?ほとんどの国民が「民主党に騙された」そのような鬱積した思いで過ごしたのが、この頃の特徴であると思います。
民主党政権時代の日経平均株価は1万円の壁をなかなか抜けられず、先行き不透明な時代でした。
今も民主党政権が続き、日経平均が1万円にへばりついていたとするとゾーッとします。

今頃になって、
”衆院選前の「排除」発言につながる質問をしたフリーの記者の質問を無視し”
したなどと、これをきっかけに希望の党が勢いを失ったような記事が出ていますが、
多くの国民は、民主党時代の惨事を明確に記憶しております。”あの危険な人たちを抱え込む”
そのような希望の党に、希望を見出すことが困難であったと思います。

民主党末期の野田内閣も、小池希望の党も、実は日本国のために大いに貢献したことがあると思います。最後にこれを記そうと思います。

野田内閣については、衆議院議員を解散して、任期前に選挙をおこなったことです。多くの国民はわかっていましたし、民主党内部では「今、選挙をすることは危険」と十分にわかっていたはずです。それでも早期に解散を断行したことにより、少しでも早い時期に日本国の復活がスタートできました。
アベノミクスが本当に成功したのかどうかにつては、後世の歴史学者などが判断するのかもしれませんが、日経平均株価を見る限りにおいては、株価を2倍上にして、多くの国民(主に投資家)や企業の成長を促進したなど、大いに評価ができると思います。

小池希望の党の最大の評価に値するポイントは、パンドラの箱を開けてしまったことです。
2大政党制は、ダイナミックに政策転換をしたり、国難の克服など旧政党で解決できなかった難題を一気に解決する突破力などがあると予想されます。小選挙区制に移行することで、政権交代はおこないやすくなりましたが、なかなか、進んでいません。
民主党は政権与党の時代に、多くの資金をため込んでおり、潤沢な資産を所有しているといわれております。そのお金を目的に、右も左も、全くかみ合わない連中を寄せ集めたのが、民主党(民進党)の姿であると思います。
元日本維新の会党首の橋下さんが、「小池さんが、ちょろねずみたちを追い払った」と話しておりましたが、その通りだと思います。選挙というフィルターを通して、選別され、残っていくこの過程で整理をされていくはずです。
小池の”排除”や”踏み絵”はかなり強引であり、多くの人に不快な思いをさせましたが、本来ならば、希望の党に多くの人は集まらず、大半は民主党に残ったはずです。それがどうでしょうか?選挙区に勝ちたいがために、泥舟民進党から抜け出し、民進党とは全く異なる政策を掲げる希望の党に乗り移ったのです。
本来ならば、この選挙を通じて、辻元清美さんなどの、極左の人物が整理されるべきであったのですが、立憲民政党という、新しい政党名に惑わされ、旧民進党の人たちが残ってしまいました。
それでも、小池さんの断行した希望の党の設置により、民進党は割れたのです、パンドラの箱は空けられました。有能な元民進党の議員は、これまで以上に自由に動くことができると思います。
その箱の底には、明日の日本のための「希望」が残ったと思います。



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