日経ヴェリタス2017/7/2号で「一律の残業規制は成長の芽を摘む」
このような記事が出ていたので、紹介と解説をしたいと思います。

【記事概要】
労働時間の削減をアピールする企業が増えてきた。労基署も残業時間の監視が厳しくなっている。
一律の労働時間削減は、すぐに結果の出ない仕事への意欲をそぐ場合がある。
時間ではなく、プロセスを見直し、賃金上昇の好循環につなげる必要がある。

【解説」】
サムスンをはじめとした韓国企業は、基礎研究への工数を極力避け、商品開発やマーケティングにより、工数をかけた結果、現在の地位を築き上げた。
このような記事を見たことがある。

基礎研究などは時間がかかり、どのような結果が出るかどうか、いつ頃に出るかもわからないことに多くの工数をかけることは、経営的な視点で考えた場合、マイナスになることが多い。
基礎研究した結果や人材を買い取ることで、より効率的に経営を回していく、このような経営スタンスの会社があることは事実である。

本来、働くことは楽しいことであるはずだ。
本多静六のように、「職業の道楽化」は理想ではありますが、あまりできる人は少ないと思います。
仮にそうであっても、目の間の仕事をこなし、好きになり、さらにそれをより良いものに変えていくことこそが、本来の働くことの意味に、つながることであると思います。

労働時間を制約する考え方には、「労働=悪」このような構図があると思われます。

性善説的に考えるならば、人は働くことによって、他人や社会のために役に立ち、その成果として報酬を得ることになります。
この過程を通じて、自己実現ができるのであれば、願ったりかなったりであると思います。
働くことによって、我々は報酬を得ており、もしそれが社会のために役に立たない「悪の産物」を産み出すものであれば、働くことを止めるべきであるが、「悪いもの」と捉えなければならないのであれば、どこかに論理的な矛盾が存在すると考えられます。

労働時間規制は、「残業時間規制」につながっております。
残業をする→残業支給が発生する
 ・ 残業代支給はコストとなり会社の利益が減る、
 ・ 残業が多いと採用が不利になる。残業をさせないようにしたい
 ・ 残業が多いと労基署より睨まれる

カール・マルクスは「資本論」において、資本家による成果物の搾取を訴えましたが。ここには、悪の権化である”資本家”と、その下で働く”善良な市民である”労働者”の構図が出来上がっておりました。

現在は誰でもが起業して、自ら働ける時代です。
資本家である、企業家、大きなリスクとかけて、事業運営に大きな工数をかけております。
彼らにとって、「残業時間」「労働時間=悪」などの考えがあるであろうか?

自らの自己実現をに向けて、リスクをかけて戦っている彼らにとって、残業などの考え方もないし、働くことそのものが楽しいから、働いている、それが本来の働く人たちの理想の姿ではないだろうか?


経済が活性化するためには、ある程度余裕のある収入が得られなければなりません。

企業は、正規社員の数を減らし、非正規社員の採用を増やしております。
これは企業単体で考えると、正しい選択であると思います。
なぜならば、非正規であれば正規社員に比べコストが雇い入れるコストが安くなり会社の利益が拡大につながります。また繁忙期だけの採用など、必要な時に必要なだけの量を確保することで、固定費の圧縮につながります。正規社員に比べ、簡単に契約を切ることも可能です。

日本の企業は、会社としての利益を最優先したがために、年々非正規雇用の比率は高くなっております。
ある統計では、「全体の4割が非正規雇用、女性だけに限ったら6割」となっております。

目の目の業績、目の前の成果、目の前の実績・・・・・
会社は、どんどん短期的な利益をより優先して、人を育てることよりも、今年度の業績・決算ばかりを気にしているように思えてなりません。

日本のノーベル賞受賞者が多いのは基礎研究にじっくりと取り組んだ成果であるといわれております。
基礎研究で成果を出すためには多くの時間もお金もかかります。
恐らく、ノーベル賞を受賞された方々は、日夜寝るのを惜しんで研究に没頭していたと推測されます。ここには残業という概念はありません。

残業が発生する背景は様々ですので、一律で「悪い」「良い」などの判断はできません。
必要な仕事を深夜まで残業をしてでも、必ずやり遂げなければなりませんし、一方で「無駄な残業」は排除しなければなりません。

プロセスを見直し、無駄を排除し、ITやAIなどを活用して、働く職場の環境を抜本的に見直すことから始めないと、
「残業時間を多くつけたら労基署がうるさいので、つけないでください」では、何も解決しないと思います、

「長時間労働が少子化の原因」と決めつける論評もありますが、1960-1970年代における労働環境と少子化は比例しているでしょうか?
恐れく、この時代の労働者は、今と比較にならないほど「働け、働け、働け」の連続だったと思います。
それでは何か、現代と異なるのでしょうか?

1965年以降の統計データでは、1965年~1998年まで、サラリーマンの平均年収は毎年着実に上がっております。その後、2010年くらいまで、ここ数年は少しだけ改善しつつあるところです。

会社の業績が上がるということは、上場企業であれば株価が上がり、投資家にとっては嬉しい限りですが、そこで働く従業員の年収は下がっております。
ここには、非正規社員の増加も関係していると思いますが、収入が増えないことには、結婚もできない、少子化も解決しないということにつながる可能性が大です。

21世紀の労働環境は、RPAなどロボットを活用した労働環境が普及し、されなる人材カットの要因が増えておりますので、これまでのように労働集約型のモデルはどんどん減っていくと思います。

管理職に比べ、報酬の少ない社員にとって、ささやかではありますが、残業代をもらえることで、家庭にわずかでも多くの報酬を届けることができ、家庭に潤いが産まれることは間違えのない事実です。
無駄な残業、報酬稼ぎのための残業は規制しなければならないと思いますが、
残業せずに提示で帰っても、「仕事量そのものはかわらないこと」「報酬が減ってしまうこと」これらを理解したうえで対策を考えていただきたいと思います。

広く年俸制度を採り入れ、「固定残業代」をあらかじめ織り込んで、大幅な給料アップを図れば、無駄な残業は大幅に減り、そこで働く人々は、「どうしたら定時に帰れるか」を真剣に帰れるようになるでしょう・

サラリーマンに毎月支払われる給料は、経済発展のための重要な資源であり、潤滑油です。
いかにしたら、これが増えるようになるかを考えていかなければ、
「残業減らせ」「早く帰れ」だけでは、何にも解決しないと思われます。


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