1972年にローマ・クラブによって「成長の限界人類の選択」が発表された。MITのデニス・メドウズを主査とする国際チームに委託し、システム・ダイナミクスの手法を使用してとりまとめた研究であり、「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と警鐘を鳴らしている。
特に、高度成長をを享受していた先進諸国の人々の根本的な反省への重大な契機となった。

確かに人類の歴史の上で、産業革命以降の人口の増加は「人口爆発」の言葉が示すように、驚異的な数字の伸びであった。以下の言葉も有名であり人口の増加を表す際によく提示される
「人は幾何学級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」
先進国は一斉にブレーキを踏んだ、そのような歴史が有ったのである。


あれから45年ほど経過しているが、ローマ・クラブの提言は本当に正しかったといえるのでしょうか?
環境汚染は1970年代の頃に比べると、日本国内においてはかなり改善されていると思われます。環境に対する研究開発の結果により、技術的に公害問題の拡大を止めることができたと思います。
経済成長においても、IT産業がその後の核となり多くの産業を生み出し、経済は成長と発展を続けている。
資源の枯渇は何度も叫ばれていますが、新たな油田が発見されるなどで、その後も枯渇の時期が見えません。

人口の増加は。アフリカ諸国を中心に今も続いているが、現在先進国では「少子化」が新たな社会問題として取り上げられている。

「成長の限界」の社会に与えたインパクトは大きく、様々な施策がおこなわれた。
何しろ、”このまま工業化社会を進展させたら、地球や人類がやばい!”このように言っているのですから、日本としても見直すのは当然です。
成長が必ずしも正しくない、「公害」などが成長の結果であれば、成長ではない新たな道を探らないといけない風潮がまん延しておりました。
その一つが1980年から始まる「ゆとり教育」につながっているのだと思います。

世論の詰め込み式教育の批判をもとに、もっとゆとりをもって、”総合的な学習”の名のもとに、学習時間を減らすなどがおこなわれました。
ゆとり教育以降、”競争”が悪しき慣習ように思われて、「運動会の徒競走では、手をつないでゴールしましょう」このようなことが実際におこなわれていたケースもあるようです。
ゆとり教育が始まった当初は高く評価されたようです。
「生きる力」を重視など、もっともらしい言葉で説明されて、成果が有耶無耶になっていました。
その後、OECD生徒の学習到達度調査 (PISA) などの国際学力テストなどにおいて、日本成績はどんどんと落ちていき、ゆとり教育による弊害は、極めて大きなものに拡大したことに気づき、2008年以降、学習時間の増加がおこなわれるようになっております。

その時々で、意思決定をおこない、政策を決めていくことは正しいことがありますが、中には間違っていることも多いと思います。
間違った政策をそのまま継続すると、大きな損害が発生することがあるものです。

恐らく、”ゆとり教育”には間違いがあったし、”成長の限界”にも間違いが有ったのだと思います。

昨今の日本の、少子高齢化の問題は、根本的な原因を探らないと、解決ができないものであると思います。

待機児童の問題などが大きな問題として、保育所を増やせ、保育士を増やせと言っておりますが、
昔は、子供が多かったのに、待機児童の問題はありませんでした。
お母さんが家を守っていたからです。

「旦那の給料が少なくなったから、女性も働かなければならなくなった」のは、結果であり、原因ではありません。

源氏物語”宇治十条”では薫が、偽物であることを知りつつそのなかで苦しみながら生きる物語です。
三島由紀夫「天人五衰」に出てくる安永透も贋物であることが後に発覚します。

これまで信じていた、政策な社会的な変革において、何らかの過ちがあったがゆえに、今日に少子高齢化に進んでいるのではないか?
そのように考えております。

もう一つの物語、これを通じて、昨今の社会問題解決の糸口が少しでも見つかればと思っております。



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