大学の時、サークルの夏の合宿で金沢へ行ったことがあります。
観光ガイドなどではよく雪の兼六園の写真が出ておりますが、夏の金沢も冬とは異なる風情があり、十分楽しむことができました。
兼六園と隣接して金沢城址があり、金沢大学はお城の中に有りました。歴史的な空間と、アカデミズムの環境が融合しており、何とも羨ましく思いました。現在では、金沢大学は規模拡大にともない移転しているようです。
金沢ではお土産に飴を買いました。街を歩いていたら、時間は既に夕刻になっていました。飴をいくつか頬張りながら、犀川にかかっている犀川大橋から、夕日が見えました。その時、ふと室生犀星の詩を思い出しました。

ふるさとは遠きありて思ふもの
そして悲しくうたふもの


室生犀星は、金沢を代表する詩人・小説家です。1989年、私生児・妾の子として産まれ、常に育ての母と産みの母の二重拘束を背負っていました。13歳で小学校を中退し給仕としt就職しております。その後15歳で北國新聞に投句が初掲載され、1910年(21歳)に詩人を志しての上京へとつながります。その後も、何度も何度も、帰郷と上京を繰り返し、1918年に今回取り上げる「抒情小曲集 小景異情」が作成されております。犀星29歳の時となります。

学生当時は、この詩に書かれている犀星の思いを正確にくみ取ることができなかったと思います。
その後、故郷を離れて数十年が経過し、犀星の思いが、しみじみと伝わってくるように思います。

詩はさらに続きます。

よしや
うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても
帰ることろにあるまじや


たまに帰る故郷は、時に優しかったり、冷たかったりと、上京の地で思い描く楽しい故郷の思い出とは、大きく異なることがあります。
詩人でまだ成功を収めていなかった頃に、故郷は思った以上に冷たく、そこは戦いのフィールドではないことを悟ったのだと思われます。

一人都のゆふぐれに
ふるさと思ひなみだぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかえらばや
遠きみやこにかえらばや

”ふるさとは遠きにありて思うもの”
時間とともに、ふるさとの思い出は、美しくデフォルメされ、現実の冷たく寒々とした世界との乖離は大きくなるばかりです。詩人として活躍を始めた犀星は、東京で北原白秋や萩原朔太郎などと会い、そのフィールドはどんどん広がりつつありますが、故郷の地ではまだ誰もその存在を知ることはなかったでしょう。
帰郷と上京を繰り返していた犀星が、犀川大橋付近よりで見たかもしれない夕暮れの空。
その時に”遠きみやこ(東京に)かえらばや”と、高々に宣言したのだと思います。

現在の日本においては社会のセイフティーネットがしっかりと構築されており、街に乞食と呼ばれるような存在に出くわすことは殆どあまりありません。
しかし、日本は本当に豊かになったのでしょうか?

多重債務や奨学金返済で苦しみ、貧困を強いられている人々。表面的には、レジャーや車などを楽しんでいても、火の車という家庭はかなり多いです。
一方で、セイフティーネットを悪用して、偽装離婚や生活保護の不正受給など、悪質な人々も増えていると思われます。
街で食べ物や金銭を要求する乞食こそ減ったものの、実態はかなり貧困化が進んでいるのかもしれません。

五月病で苦しんでいる人たちは、県外の大学などに通い始めた新入生や、4月より働き始めた新卒の人が多いと思います。
故郷には沢山の思い出や友達、家族などがいます。きっと、そこにいると楽かもしれません。しかし、故郷の友達にしても新生活が始まっており、以前のような交流を行うことは難しくなっているでしょう。
大学なり専門学校、新卒で入社した会社など、全てはそこであなた自身を磨いて、さらなる高みへと進むために選んだ道です。あなた自身が戦うべきフィールドはそこにあるはずです。故郷は大切であり、ゆるぎない存在です。ただ、懐かしい過去にばかり執着しても、何も生まれません。

勇気をもって宣言してください。
”遠きみやこにかえらばや” と



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