日本には様々な公園があります。日比谷公園をはじめ、多くの公園は、明治の終わりから大正、昭和の初めまでに設計されたものが多く、一人の造園技師が数多くの公園設計にかかわっている事実は、以外にも知られていないと思われます。
その造園技師こそが、今回取り上げる、本多静六です。

本多静六は、もともとは裕福な家庭で過ごしましたが、9歳の時に父親が急死した後は、多くの借金で苦しみ厳しい生活を強いられました。それでも向学心は衰えることなく、東京山林学校(後の 帝国大学農学部)に進み、首席で卒業しております。林学博士となり母校の教授になった学者としての一面と、造園技師として全国を飛び回り公園を設計しております。


これらの実績もさることながら、投資家としての一面も持っております。「私の財産告白」はまさに、投資家であり蓄財家でもある、その術と、人生哲学について書かれております。
・雪ダルマの芯を作れ(種銭を作れ)
・芯(ある程度の額)ができたなら、それを分散投資(株や不動産など)
・あとは「焦らず、怠らず、時節を待つ」
・好景気は勤倹貯蓄、不景気は投資えをせよ
・利殖の成功は、その人の努力如何にかかわる
・収入の1/4を貯蓄せよ+臨時収入の1/1を貯金する
・投資スタイルは長期+バイ&ホールド
・二割利喰い、および十割益半分放し
・必要に応じて「先物」「レバレッジ」「分散投資」を使う
・一日一ページ、著述原稿として印刷価値のあるものを書く
・職業の道楽化
・仕事とは元々楽しいものであり、カネを稼がなければならないという呪縛から一定の自由を得ることで、仕事の面白さを追求できる
・金儲けは理屈でなくて、実際である。計画でなくて、努力である。予算でなくて、結果である

この著書には、珠玉の言葉が並んでいますが、何も奇をてらったものがあるわけではなく、きわめて当たり前のことが書かれています。

本多静六のような偉大な方の人生哲学の後では、一個人の人生哲学は極めて陳腐であり、つまらないものだと思いますが、このような男もいたということで、私の「財産告白」についても記述させていただきたいと思います。

自身のプロフィールで書かせていただきましたが、私は家が貧乏でしたので、大学に行くような経済的な余裕はありませんでした。高校進学についても「志望校に落ちたら働け」と言われ、滑り止めは受験させていただけましたが、入学金は払ってもらえませんでした。
それなのに、大学に行くときも奨学金を利用することはみじんも考えたことがありません。借金に対する抵抗がとても強かったのだと思います。ですから、自らアルバイトしながらそのお金をベースに家計を組み立てることと、節約を徹底することで、何とか生活のやりくりをしたいと考えておりました。

大学時代、仕送りはありませんでした。地元の国立大学には行きたくなかったので、地元を飛び出し、自ら稼ぐことで生活費と学費をやりくりする計画でした。細かい具体的な計画は何も立てておりませんでした。ある意味、きわめて無謀な冒険のようでしたが、私には「何とかなる」という自信がありました。

大学に合格して、最初に訪れたのは、大手新聞社の新聞奨学生の面接です。高校時代に毎日新聞の朝刊を配達していたので、毎日新聞を訪ねて面接を受けましたが、しっくりといかず、帰ってしまいました。その夜の寝床もないのに、毎日新聞との契約を交わさず、親類の家に泊めてもらいました。
次の日大学に行き、「下宿生募集」の案内を見て、さっそくの募集をしている家を訪問して話を聞きました。
「家賃5000円(光熱費込み)、部屋貸し、家主(お婆さん70代)と同居、22時までに帰宅すること、8畳に2名」などの条件が掲げられておりました。当時、大学の寮は2人部屋で寮費が2000円程度聞いておりました。寮にするか、この家に下宿するかを悩みましたが、説明を受けて数時間後に契約を交わしておりました。

ここから、私の大学生活が始まります。
仕送りがなく、奨学金もないのに、卒業時には数百万円の貯金ができました。
大学時代は節約の日々でしたが、とっても楽しかった思い出が多いです。
次回より、数回シリーズで、「私自身の財産告白」をおこないたいと思います。



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